美濃屋の歴史は意外と古い。
先先代は四人男兄弟の四男 小森盤之進、屋号は先先代社長の生まれ故郷、岐阜県美濃から商号した。
横浜で兄弟力をあわせて始めたそれは小さなおかき屋だった。
大正10年の出来事。
第二次世界大戦が始まり止むなく閉めざるを終えなくなり、何もかもなくなった戦後、開拓の精神を燃やし微力ながら再開、昭和33年有限会社美濃屋あられとして、新たな時代を開いた。
暖簾分けは長男であった美濃屋あられ総本舗(上大岡)からである。
昭和62年美濃屋あられ総本舗と合併、協力体制で決起する。
中区にある美濃屋あられ製造本舗さんの先先代は次男である。
現在は、同業者として、別々に歩んでいる。
米菓を知ることは経験を積むことから始まる。
昔からの技法、
新しい技術、
美味しさづくりは続いている。
この味はいつまでも忘れたくない。
米菓の文化が外国産に代わってしまわないように、次の職人さんに、そして子どもたちに残していくこと、伝えていくことがこれからの使命だと感じています。
春、夏、秋、冬、四季を通して、
生地も暑くなって汗をかいたり、
寒くなって凍えたりもします。
口こそ利きませんが、話しかけてきます。 草木だってほっておかれるとどんどん枯れていきます。
だからといって、水をかけすぎては根腐れてしまい、 暖かくしてあげればのぼせてしまいます。
同じケアではいけないのです。
毎日変わる気候や温度、風さえも読む。 かたぎ職人のなせる技です。